forest-mountain’s blog

歴史についてつれづれなるままに書いてます

2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧

平家への想い

俗に平家と呼ばれる人たちは、純粋な平氏だけではない人たちも多数含まれます。 平清盛の一族の他、平氏に従った家臣や源氏、藤原氏の一部や水軍、地方の豪族などです。 だから平家の落人と言われる人達は、壇ノ浦で単に平家側として戦った兵士や船頭や水軍…

平清盛のこと

毎回、書いていることが時系列になってなく、話があっちこっちに飛んでしまってすみません。 平家の黄金時代を築いた平清盛は、平家物語の中でも非常に悪く書かれています。 驕り高ぶり、寺院の焼き討ちや、突然、都を京都から福原(今の神戸)に移したりし…

引き続き、壇ノ浦のこと

今日もおとといに続き、壇ノ浦のことを書いていきます。 平清盛は1185年、原因不明の熱病で病にかかり、平家の行く末を心配しながら息を引き取ります。 そして、わずか4年後の1185年に壇ノ浦の戦いは起きます。 清盛の独裁政権に不満を持った、公家…

平家終焉の地 ”壇ノ浦”

こんにちは、今日は源平の最後の決戦場、壇ノ浦について書いていきます。 昨日も書きましたが、壇ノ浦というのは、潮流が激しく潮の流れが1日の中で変化していく船の航行には非常に困難な海域であるというところです。 「浦というのは陸地が湾曲して湖や海…

壇ノ浦の戰いがあった場所に職場が

僕は一時期、壇ノ浦が見える北九州の門司に勤務していたことがありました。 約900年前に壇ノ浦で源氏と平家の決戦が行われ平家が滅んだ地として有名なところです。 対岸には平家一門を供養した赤間神宮を眺めることが出来、平家好きの僕にとっては願って…

平家の棟梁 平清盛の誕生

平氏は清盛のお父さんである忠盛が大出世して、上皇の御所に入ることができました。 平氏が誕生(825年)してから約300年後のことです。 それまでは、決して御所の中には入れず下の絵にあるように、外でご主人の命令があるまでじっと待機しているよう…

公卿と平氏の台頭

何度も書きましたが平氏とは、もともと天皇の子孫でありましたが、のちに武士となり、御所の警護をしたり、地方を治める役目を負うようになっていきました。 天皇や貴族達は、戦うことができないため、自分たちを武力によって守ってくれる平氏ら武士達をいい…

平清盛の父、忠盛という人

平清盛の父、忠盛は平安時代の末期に平氏の全盛の礎を築いた人と言われている。 忠盛は白河上皇、鳥羽上皇の2代にわたって院政を支え、 (院政とは上皇が政治の実権を握ることで、早く天皇から退き、幼い天皇にその地位を譲るため実質の政治を上皇が行った…

武士である平家が公卿と同列になる

「将門の乱」から200年後くらい後になりますが 関東で根を張った板東平氏はやがて伊勢に拠点を構えるようになり、伊勢平氏と呼ばれるようになります。 そして清盛のおじいちゃんである正盛の時に、白河上皇に信頼され上皇の御所を護衛する北面武士になり…

将門の乱

「平氏とは、皇族から臣籍降下した平高望が始まりです」と前回書きました。 京の朝廷から関東を治めるために派遣された高望親子はそこで地元の有力者と結びつき根を張り、京へは帰京せず板東平氏となっていきます。 そして、高望の長男国香(くにか)の子供…