forest-mountain’s blog

歴史についてつれづれなるままに書いてます

平家への想い

 俗に平家と呼ばれる人たちは、純粋な平氏だけではない人たちも多数含まれます。

平清盛の一族の他、平氏に従った家臣や源氏、藤原氏の一部や水軍、地方の豪族などです。

だから平家の落人と言われる人達は、壇ノ浦で単に平家側として戦った兵士や船頭や水軍等が多数を占めるようです。

 

清盛の父、忠盛の時代から中国との貿易ルートとして、西日本の海上を制圧して来ました。

そして各沿岸に根城を張り中国との貿易船や渡航船を襲い積荷を強奪していた海賊を討伐し、それら四国や九州の海賊を水軍として味方につけていき、海上交通を確保し貿易による富と海の戦いに強い平家となっていきました。

 

その中で、九州の肥前(今の佐賀県長崎県北部)の松浦水軍は清盛の時代まで平家方として

従っていましたが、壇ノ浦の戦いでは平家を裏切り源氏に寝返って平家滅亡の一因となったのでした。

 

僕の実家は、昔、松浦水軍の拠点があった近くです。

水軍にいわれのあるものを多く残っています。

僕がなぜか平家に昔から惹かれていた理由は、もしかしたら過去世は松浦水軍の一員だったんじゃないかと思えるのです。

壇ノ浦で水軍として戦い、自分は裏切る気はなかったのに組織に従って平家を裏切ったことが心残りで、今世で平家に思い入れが強いんじゃないかと思うことがあるのです。

 (おわり)