forest-mountain’s blog

歴史についてつれづれなるままに書いてます

天岩戸伝説で思ったこと

こんにちは、久しぶりに書きます。 今日は、天岩戸神話について個人的に思ったことを書きたいと思います。 ご存知のように、天岩戸伝説は『古事記』に書かれていますが、天照大御神が高天原で弟、素戔嗚の乱暴な行いに恐れをなして天の岩戸に隠れてしまった…

京都松尾大社に行きました。

ひさーしぶりに書きます。 少し前京都に行きました。まだ、9月の中旬で京都の残暑がきつかった京都の夏はとは聞いていましたが・・・・ そんな中、嵐山にある松尾大社という神社に参拝しました(正確には松尾山の麓ですが) ここは日本に渡来した秦氏が5世…

古代卑弥呼の足跡を訪ねて山口へ・・・

以前から古代史に興味があり、特に邪馬台国やその女王卑弥呼のことや「古事記」「日本書紀」のことを色々と調べながら、アカシックレコードからの情報をとって検証しています。 邪馬台国は一体どこにあったのか?卑弥呼とはどこからやってきてどこで亡くなっ…

オリンピックが終わって思ったこと

オリンピックが終わってしまいました。 僕にとっては痛く感動した祭典になりました。 前回のブログで、オリンピックがなくならないと真の平和はおとづれないんじゃないかということを書きましたが・・・ オリンピックが終わった今、 人生で二度自国でのオリ…

オリンピックという戦い

今、オリンピック真っ盛りですが、このコロナ禍の中で開催された東京オリンピック。 開催前には開催の可否について議論が広がり報道も否定的なことばかりが流れていました。 始まると日本が過去最大のメダルを獲得するかもしれないという期待が報道で流れて…

北陸自動車沿線は戦国武将の戦いのあとが・・・

京都に先月滞在し、これから始めようとする着物の仕事関係のために福井市の先の丸岡市まで行きました。 京都から約3時間、途中SAにちょこちょこ立ち寄りながら行ったんで普通2時間半のところ少し時間がかかったみたいです。 京都南ICから名神高速を走り、…

平家の栄華と六波羅蜜寺

久しぶりに書きます。 先月京都に滞在し、その時平家の拠点があった六波羅蜜寺に立ち寄ったのでそのことを少し書きます。 六波羅蜜寺は、平安時代末期、醍醐天皇の王子である空也上人がここで当時京都で流行っていた疫病の退散の祈祷を行ったのがこの寺の始…

空に魚が飛んでいる?

先日の下鴨神社の続きを書こうと思ったんですが、今日はある場所で写真を撮ったら空に変なものが写っていたんでこの事を書こうと思います。 先日、6月21日、夏至の日に伊勢神宮に参拝しました。 この日は緊急事態宣言が解除になった翌日だったのと夏至の日が…

下鴨神社にて祭神について思ったこと

先日、京都御所の鬼門に当たる下鴨神社に参拝してきました。 京都御所を守るために建てられたのでしょうか。 正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と呼ぶそうで、鴨川の下流に位置してるんで通称「下鴨神社」というそうです。 この神社の祭神は、賀茂…

白河上皇、鳥羽上皇陵墓を訪ねて

京都に来て、滞在している所から歩いて行ける所に、平安時代に院政を作った白河法皇、その孫の鳥羽上皇の墓所があったんで行ってみました。 (上が白河上皇陵墓、下が鳥羽上皇陵墓) 二人の陵墓は割りと近くにあり、この辺り一帯が平安時代に院御所として院…

京都に滞在して

久しぶりの更新になってしまいました。 昨日から故あって、京都に1ヶ月ほど滞在します。 京都は、神社仏閣が多く日本の文化の発祥の地として大変貴重な土地だと思います。 そして、平家にとってはゆかりの地であり、繁栄の地でもあり滅亡への地でもある因縁…

後白河法皇という人は平家の敵

後白河法皇という人は平家を滅亡に追いやった人です。 もともと、天皇の四男に生まれたために天皇になる予定ではなかったのに、偶然の産物により天皇の地位が転がり込んできました。 そして天皇を退いた後は幼い天皇に変わって政治権力を握る院政を30年以…

平家への想い

俗に平家と呼ばれる人たちは、純粋な平氏だけではない人たちも多数含まれます。 平清盛の一族の他、平氏に従った家臣や源氏、藤原氏の一部や水軍、地方の豪族などです。 だから平家の落人と言われる人達は、壇ノ浦で単に平家側として戦った兵士や船頭や水軍…

平清盛のこと

毎回、書いていることが時系列になってなく、話があっちこっちに飛んでしまってすみません。 平家の黄金時代を築いた平清盛は、平家物語の中でも非常に悪く書かれています。 驕り高ぶり、寺院の焼き討ちや、突然、都を京都から福原(今の神戸)に移したりし…

引き続き、壇ノ浦のこと

今日もおとといに続き、壇ノ浦のことを書いていきます。 平清盛は1185年、原因不明の熱病で病にかかり、平家の行く末を心配しながら息を引き取ります。 そして、わずか4年後の1185年に壇ノ浦の戦いは起きます。 清盛の独裁政権に不満を持った、公家…

平家終焉の地 ”壇ノ浦”

こんにちは、今日は源平の最後の決戦場、壇ノ浦について書いていきます。 昨日も書きましたが、壇ノ浦というのは、潮流が激しく潮の流れが1日の中で変化していく船の航行には非常に困難な海域であるというところです。 「浦というのは陸地が湾曲して湖や海…

壇ノ浦の戰いがあった場所に職場が

僕は一時期、壇ノ浦が見える北九州の門司に勤務していたことがありました。 約900年前に壇ノ浦で源氏と平家の決戦が行われ平家が滅んだ地として有名なところです。 対岸には平家一門を供養した赤間神宮を眺めることが出来、平家好きの僕にとっては願って…

平家の棟梁 平清盛の誕生

平氏は清盛のお父さんである忠盛が大出世して、上皇の御所に入ることができました。 平氏が誕生(825年)してから約300年後のことです。 それまでは、決して御所の中には入れず下の絵にあるように、外でご主人の命令があるまでじっと待機しているよう…

公卿と平氏の台頭

何度も書きましたが平氏とは、もともと天皇の子孫でありましたが、のちに武士となり、御所の警護をしたり、地方を治める役目を負うようになっていきました。 天皇や貴族達は、戦うことができないため、自分たちを武力によって守ってくれる平氏ら武士達をいい…

平清盛の父、忠盛という人

平清盛の父、忠盛は平安時代の末期に平氏の全盛の礎を築いた人と言われている。 忠盛は白河上皇、鳥羽上皇の2代にわたって院政を支え、 (院政とは上皇が政治の実権を握ることで、早く天皇から退き、幼い天皇にその地位を譲るため実質の政治を上皇が行った…

武士である平家が公卿と同列になる

「将門の乱」から200年後くらい後になりますが 関東で根を張った板東平氏はやがて伊勢に拠点を構えるようになり、伊勢平氏と呼ばれるようになります。 そして清盛のおじいちゃんである正盛の時に、白河上皇に信頼され上皇の御所を護衛する北面武士になり…

将門の乱

「平氏とは、皇族から臣籍降下した平高望が始まりです」と前回書きました。 京の朝廷から関東を治めるために派遣された高望親子はそこで地元の有力者と結びつき根を張り、京へは帰京せず板東平氏となっていきます。 そして、高望の長男国香(くにか)の子供…

平氏が生まれた起源は・・・

平氏とは、もともと第50代天皇桓武天皇の子供達が「臣籍降下(しんせきこうか)」して、平(たいら)の姓をもらって、その子孫が関東や西日本に散らばって、板東平氏や伊勢平氏に なったと書きましたが、そのことについて、平氏の起源を遡りたいと思います…

桓武平氏のスターが平清盛だった

昨日も書きましたが、平氏とは桓武天皇の子孫ですが、その他の天皇の子孫からも平氏が出ていますが 、その中でも最終的に残ったのが桓武天皇の子孫である平氏であり平清盛一族だったのです。 やっぱり、平家といえば平清盛が有名ですんで、僕は彼が一番興味…

平氏との出会い

平氏とは、もともと天皇家の出身です。 第50代天皇桓武天皇(737ー806)の孫が「臣籍降下(しんせきこうか)」して、平(たいら)の姓をもらって名乗るようになりました。高望王→ 平高望に改名 ※「臣籍降下」とは皇族が皇室から離れ別の姓をもらって…

平家についてつれづれなるままに

はじめまして、56歳のサラリーマンです。 というか、もうすぐ退職するので元サラリーマンになりますが。 今日からここに自分の好きな平家のことについて思うままに綴っていこうと思います。 平家に関する読み物やTV番組、映画などあらゆるものを手当たり次第…