武士である平家が公卿と同列になる
「将門の乱」から200年後くらい後になりますが
関東で根を張った板東平氏はやがて伊勢に拠点を構えるようになり、伊勢平氏と呼ばれるようになります。
そして清盛のおじいちゃんである正盛の時に、白河上皇に信頼され上皇の御所を護衛する北面武士になります。
北面武士とは退位した天皇の住居である院御所の警護を行う武士のことであり、主に源氏と平氏でやっていました。
そして、清盛のお父さんである忠盛の時に、北面武士として警護する立場から一気に出世して伊勢平氏として初めて昇殿という天皇の身辺に仕える立場を与えられ、公卿と同じような身分になるのです。
忠盛は、西海の海賊等を討伐し、今の中国である宋と盛んに貿易を行い財力を蓄えていきました。上皇には貿易品をプレゼントしたりしてちゃっかりと取り入って朝廷の中でも平家の力が他の公卿を凌ぐほど大きくなっていったのです。
ただ、成り上がり者の武士である忠盛は公卿たちから嫌がらせや妬みなど様々な妨害を受けていたようです。
元々上皇を警護する武士というのは、公家からは人間とはみなされない野良犬のような扱いを受けていたようなので、その武士が自分たちと同列になり朝廷の中で意見を言える立場にいることはどうしても許せないことだったと思います。
後々この遺恨が平家滅亡の壇ノ浦へと繋がっていくのです。
そして、このお父さん忠盛の努力により、清盛は後々さらに朝廷の中で出世し平家全盛の時を迎えるのです。
(おわり)