平家終焉の地 ”壇ノ浦”
こんにちは、今日は源平の最後の決戦場、壇ノ浦について書いていきます。
昨日も書きましたが、壇ノ浦というのは、潮流が激しく潮の流れが1日の中で変化していく船の航行には非常に困難な海域であるというところです。
「浦というのは陸地が湾曲して湖や海が陸地の中に入り込んでいる地形を指す」
とWikipediaには書かれています。
壇ノ浦というところは陸地が段々になってせり出した地形であり、また、潮の流れも階段のような落差があるほど急激なものだったということからついた名称ではないかと勝手に思ってます。
この潮流の変化が、勝敗を決定的にしたと書かれている歴史書もありますし、調査の結果、主戦場はそんなに流れが速くないからそれが主因ではないといった説もあり、様々な捉え方があります。
ここでは、潮流が勝敗の分かれ目であったという説に則っていくと、西から東へ向かって潮が流れる正午ごろから戦いは始まり、午後3時ごろには潮目が変わり逆に東から西へ流れ始めて午後4時ごろに平家は壊滅し、戦いは終了したということです。
たった4時間ほどのことで、あの「平家にあらずんば人にあらず」とまで言われ日本の武家の頂点であった平家は全滅してしまいました。
まさに、諸行無常の世界です。
平家に対しては、東から源氏が攻めてきて一方、九州で陣を張っていた源義経の異母兄範頼が、西から攻めてくるといった構図であり、平家は仕方なく下関の西の島、彦島という所に陣を張り、そこを拠点に最後の戦いに挑みました。
最初は、西からの追い潮にのって平家は源氏を攻め立てますが、途中、潮の流れが東から西へ変わって行くと一気に戦いは不利になり、敗戦へと進んでいきます。
それをよってか、はたまた、最初から裏切るつもりだったのか、平家方についていた水軍等が次々と源氏に寝返っていきます。
運動会や年末の紅白歌合戦などでは紅組” ”白組”とありますが、壇ノ浦では平家は赤旗、源氏は白旗をたて、それを敵味方の目印にして戦いました。
紅組、白組というのはこの時に由来するそうです。
また、明日また壇ノ浦の続きを書きます。今日はここまで
(おわり)