公卿と平氏の台頭
何度も書きましたが平氏とは、もともと天皇の子孫でありましたが、のちに武士となり、御所の警護をしたり、地方を治める役目を負うようになっていきました。
天皇や貴族達は、戦うことができないため、自分たちを武力によって守ってくれる平氏ら武士達をいいように使っていました。
当時、武士は公卿達(御所で天皇や上皇の側近として政治を動かしていた貴族)から人間扱いされていなかったのです。
そして、公卿の筆頭が藤原氏一族でした。
藤原氏は天皇に自分の娘らを代々皇后として嫁がせ、その子供が天皇になるので実質的に朝廷を動かしている一族でした。
平氏も桓武天皇などの子孫であると言うことは、元をたどれば公卿達も平氏も同じ一族であったのです。
それが、平氏の地位が上がってくれば、藤原一族の邪魔になる存在として憎しみを持つようになります。
まだ、清盛のお父さんである忠盛の時は初めて平氏で御所へ上がる地位への昇進までですが、清盛は公卿になりその最高ポストである太政大臣(その上は天皇のみ)まで出世して、藤原氏の上位となったわけです。
そりゃ、藤原氏らは面白く無いはずです、密かに平家追討の計画を練っていくのです。
(おわり)