京都松尾大社に行きました。
ひさーしぶりに書きます。
少し前京都に行きました。まだ、9月の中旬で京都の残暑がきつかった💦
京都の夏は🔥とは聞いていましたが・・・・
そんな中、嵐山にある松尾大社という神社に参拝しました(正確には松尾山の麓ですが)
ここは日本に渡来した秦氏が5世紀ごろに創建した神社です。
赤い鳥居の鴨居にぶら下がっているのは注連縄でそこには沢山の榊が逆さにぶら下がっています。榊の数は毎年12束下げるそうです。一年(12ヶ月)の数でしょうか。
秦氏はいつ渡来したか知りませんが、彼らが渡来する以前から地元では松尾山の頂上にある磐座を依代として崇拝していたそうです。
そして、祭神は大山咋神(おおやまくいかみ)、市杵島姫(イチキシマヒメ)の2柱の神。
神社の楼門を潜ると右手の御手水の軒には沢山の風鈴が下げられていました。
その風鈴の音が一服の涼を運んでくれました。
秦氏は、歴史上では第15代応神天皇の時代(3世紀ごろ?)に日本に渡来した弓月君を祖先とすると言われています。
そして、弓月君は新疆ウイグル自治区の弓月国の王族が祖先だとか秦の始皇帝(紀元前200年代)の末裔とも言われており、当然秦氏も秦の始皇帝の末裔とも言われています。
秦氏は渡来して日本に機織り、酒造、鉄、灌漑などの土木技術をもたらし、着物やお酒、河川改修など日本の文化に欠かせないほどの影響を与えている氏族です。
秦氏は天皇家とも関係が深く桓武天皇の平安建都では都市の開発にかなり力を発揮しているそうです。
秦氏は九州の豊前(福岡県から大分県北部にかけて)地方にも住み着いて大分の宇佐神宮と関わっています。
京都の部族が九州に来たのか、はたまた九州から京都へ進出していったのか?謎です??
そして、宇佐神宮の祭神は応神天皇、宗像三女神(3人の中に市杵島姫も含まれる)、神功皇后の3柱の神。
応神天皇は八幡神とも言われ、宇佐神宮は別名宇佐八幡とも言われます。
この八幡(やはた)は秦(はた)氏からきているようです。
そうすると、応神天皇の出自も秦の始皇帝か秦氏と関係があるのかな?
また松尾大社の祭神にも市杵島姫が祀られ、宇佐神宮にも市杵島姫が祀られており単なる偶然ではないような気がしました。
京都と大分に深く関係した秦氏とは何者だったのでしょうか。
そして、松尾大社のもう一つの祭神大山咋神、この神は滋賀の比叡山の山の神でもあります。
比叡山は天台宗の開祖最澄が開いた山ですが、最澄の先祖は中国から応神天皇に招かれてきたそうです。ここでも応神天皇が出てきました。
もしかすると、大山咋神とは秦氏や最澄の先祖を日本に招いた応神天皇ではないかと勝手な推測をしてしまいました。
支離滅裂なことを書いてしました。
松尾大社を参拝しこうして色々なことを想像して帰りました。