forest-mountain’s blog

歴史についてつれづれなるままに書いてます

下鴨神社にて祭神について思ったこと

先日、京都御所の鬼門に当たる下鴨神社に参拝してきました。

京都御所を守るために建てられたのでしょうか。

正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と呼ぶそうで、鴨川の下流に位置してるんで通称「下鴨神社」というそうです。

この神社の祭神は、賀茂建角身命(かもたけつぬのみこと)と玉依姫命(たまよりひめ)という二人の神様です。

神様を二人という呼び方をしていいのかどうか?

 

賀茂建角身命は別名八咫烏(やたがらす)とも言われ、神武天皇の神武東征の際には金鵄(きんし)に化身して奈良まで道案内をして初代天皇の地位につけ日本を統治させたとあります。

でも、僕はカラスでもなんでもなく地理に長けた人間は先導役として道案内したと思います。

一方、玉依姫神武天皇のお母さんであり玉とは「霊魂」、依りとは「憑りつくす」、姫とは「巫女」で「神霊の依代となる巫女」とのことです。

当時日本には巫女が沢山いたんではないでしょうか?

 

この二人の神は別名が色々あるし別の神という言い方もされています。

つまり、この祭神と言われる神は全て人間だったのではないでしょうか?

特殊な能力を持った人間を神という存在に仕立てて崇拝していたと思うんです。

 

下鴨神社のHPによると西暦28年には神宝の奉納、西暦90年には神社の端垣の修復がされた事が記録として残っているそうです。

そうすると時代は縄文時代から弥生時代ということになります。

その時代は歴史的な記録にも石器や土器が使われ、稲作が行われ始めた頃とあります。

神社が建てられたり修復されたりしている記録が残るということは、人間の手が加わっている証拠だと思うんです。

 

そういうことを思いながら境内を回って行きました。

この続きはまたしたいと思います。

 

(終わり)