桓武平氏のスターが平清盛だった
昨日も書きましたが、平氏とは桓武天皇の子孫ですが、その他の天皇の子孫からも平氏が出ていますが 、その中でも最終的に残ったのが桓武天皇の子孫である平氏であり平清盛一族だったのです。
やっぱり、平家といえば平清盛が有名ですんで、僕は彼が一番興味があります。
平清盛の伊勢平氏の流れであり、それが西日本を拠点に勢力を伸ばし、やがて日本の武家の統領となったのです。
一方、平家を滅亡に追いやった源頼朝のバックにいて鎌倉幕府創建に大きな力を発揮した北条氏はもともと板東平氏の子孫でした。
本来は平家の味方であるはずの北条氏は、後々、関東で勢力を伸ばしてくる源氏に従うことになります。
北条氏のように同族の血よりも、勢いのある方について自分たちが生き延びる選択をした平氏も多数いたことでしょう。
そして、平氏は平清盛の時に上皇と対等に話ができて、上皇を処罰できるほどに力を持った存在になっていったのです。
(この時代、若い天皇に代わり隠居した上皇という元天皇が権力を握っていました)
今日はここまでです。
平氏との出会い
第50代天皇桓武天皇(737ー806)の孫が「臣籍降下(しんせきこうか)」して、平(たいら)の姓をもらって名乗るようになりました。高望王→ 平高望に改名
※「臣籍降下」とは皇族が皇室から離れ別の姓をもらって天皇の臣下になることです。
近年で言えば、現在の天皇陛下の妹である黒田清子さんは「臣籍降下」して一般人と結婚され皇室を離れた方です。
そして、京の朝廷から関東へ派遣され地方の行政官として根を張っていったんです。
そのうち西日本に勢力を伸ばし始め、板東平氏や伊勢平氏が出てきました。
一般的に桓武平氏と言われる所以です。
僕が平氏に強い興味を抱くようになったきっかけは、今から45年前のNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」という番組だったと記憶してます。
平将門(たいらのまさかど)のお話です。僕が10歳くらいのときかな、
ストーリーは、10世紀初めごろ桓武天皇の子孫である平将門が朝廷に対する不満から関東で反乱を起こし、独立した王国の政権を作ることを目指しますが、戦いに敗れ無念にも憤死する物語です。
そして、その首は京都へ運ばれ晒し首になります。
そのお墓を動かそうとすると祟りがあると言われる「将門塚」で有名な人です。
この大河ドラマを小さい頃、毎週楽しみに見ていて、この番組で初めて平氏、源氏というものを知りました。
そして、その将門から数代後に出てきたのが平家と言われる武家でした。
「平家」とは西日本に勢力を張った平清盛とその一族を指し、その他は平氏と呼ぶのだそうです。
そして僕はこの将門の大河ドラマをきっかけにどんどん平家に夢中になっていきました。
平家についてつれづれなるままに
はじめまして、56歳のサラリーマンです。
というか、もうすぐ退職するので元サラリーマンになりますが。
今日からここに自分の好きな平家のことについて思うままに綴っていこうと思います。
平家に関する読み物やTV番組、映画などあらゆるものを手当たり次第といった感じで見たり読んだりしてきました。
吉川英治作「新平家物語」などは5回も6回も読んだと思います。
なぜ、そんなに興味があるのか自分でもなんでだろう?と思いますが。
なので、その平家への想いをこの場に綴って行こうと思います。
平家は平清盛の時に隆盛を迎え清盛の死後わずか四年後壇ノ浦の合戦で滅んでしまいました。
その壇ノ浦でのあっけない滅亡に幽玄ささえ感じる、まるで桜の花の様に一瞬にして満開となりそして散っていく、命は短いけど日本人を魅了させる。
そんな気が僕にはします。
こんな平家への想いを勝手に綴っていきたいと思います。